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2015年1月

2015年1月31日 (土)

即決して、進もう。

 人生は決断の連続です。
 迷いながらもその場で答えを出していくことです。

 映画【ドラフト・デイ】は、緻密な駆け引き合戦の中、重大な決断を迫られます。
 リーダーは、『君はどう思う』とは聞きません。
 いちいち聞いていたら、『あの人には聞いて、なんで私には聞かないの』という世間話の世界に入ります。
 結果、多数決になります。
 多数決はリーダーのすることではありません。
 『こっちへ行こう』と周囲を導くのが、リーダーです。

 ケビン・コスナー演じるサニーにとって、周囲のあらゆる人が敵です。
 彼の下した決断に納得のいかないオーナーがブチ切れて口出しをしてきます。
 サニーは『いま黙っていてくれる』と言わんばかりに、口出しを手振りで制止します。
 オーナーの存在は確認していても、見向きもしないのです。
 その姿勢に周囲のスタッフは、サニーリーダーの本気を感じ、なにも言えなくなるのです。
 サニーが『ゴチャゴチャ言わず、俺に任せておけ』という空気を、一瞬にして生み出したのです。

 ハズレかもしれません。
 それでも『こっちへ行こう』と言い切れるかどうかです。
 『こっちでいいと思う?』と聞く人は、リーダーにはなれないのです。
 質問は責任逃れです。
 サニーは責任を、一身に受け入れます。
 その覚悟の決まった目つきに、オーナーも周囲もなにも言えないどころか、ついていこうと思うのです。

 P.S.
 モタモタしている内に、AかBか選ばずに終わります。
 決断せずに終わることが、最悪の決断ですね。

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2015年1月29日 (木)

すぐに、はじめよう。

お世話になっている花谷先生と電話でした。

やることが明確になったことと、
こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、

久し振りに、やる気が出た。

今までやる気がなかったわけではないのですが、ちょっと違う。
やって良いことがわかった。
どう動けばよいのか、わからなかったから。
明日からどんどん動いていく。

いろんなことが、このままでは終われない。

見てろよ、と言う気持ちが強い。

開業前もこんな気持ちだったかもしれない。
ありがたい25分間です。

夜分遅くまで、ありがとうございました。

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2015年1月28日 (水)

条件を言う前に、まず触れてみよう。

 すべてを理解しようとすると、嫌いになります。
 どこかひとつ、お気に入りを見つけたら、それをきっかけにもっと好きになります。

 はじめて歌舞伎に行きました。
 すべてを理解しようと思って観ていたら、疲れます。
 たったひとつだけ心に残る動き、感情を表現する声の出し方、鬼気迫る舞台の空気感や笑える部分。
 どこかひとつ見つけられたら、メチャクチャおもしろいです。
 展覧会と同じです。
 100点の作品のたったひとつ好きな絵があれば、他の99点は無視して良いのです。

 私は歩き方にこだわりがあります。
 脚の運びを観てしまいます。
 脚の運びを観るのが好きなのです。
 歌舞伎の動きは細やかで流れがあります。
 脚の運びに細かいリズムがあります。
 あるシーンで大股から少しずつ小股になっていく動きがありました。
 その少しずつ起こる細やかな変化が、流動的でとても美しいのです。
 歌舞伎の動きは、腹の出まくっているオッサンのようにドタドタしていません。
 特に女性役の人の動きは静かです。
 すり足で動いていました。
 ずっと脚の運びに注目して観ていたので、帰りは私もすり足気味に歩いていました。
 すぐに真似をしてみたくなります。

 人も歌舞伎と同じです。
 はじめからすべてを理解しようとすると、うまくはいきません。
 その関係は、ツマラナイものになります。
 『アノ人は、よくわからないから嫌だ』となります。
 人の価値観は、人の数だけあります。
 同じ価値観の人を好きにはなりません。
 『価値観は違うとこあるけど、ココが良いんだよね』と、ひとつ好きになれば、その人といてたのしいです。
 人をなかなか好きになれない人は、すべてが自分好みを探します。
 条件が先行するのです。
 『なかなかいい人がいないんですよ』と言います。
 そういう言葉を聞くたびに、本当だろうか、と思います。
 自分が“条件魔”になっていることに気づいていないのです。
 
 『歌舞伎に行こう』と言って、『おもしろいなら行く』という人は、条件ありきです。
 そういう人とは行きたくありません。
 『わからないけど、行ってみたい』という人に、魅かれます。
 あの人とは価値観が違うからという人は、『価値観が同じ』=『好きになる人』という思い込みがあります。
 価値観は、違うから魅かれるのです。
 なんでも自分と同じ考えの人を好きにはなりません。
 『そんなこともアリだよね』と思わせてくれる人に、魅かれるのです。

 期待して歌舞伎を100点から入る人は観れないでしょう。
 よくわからないだろう、から入る人は好きになるチャンスがたくさん転がっています。
 はじめて触れるものすべてに、同じことが言えます。
 100点満点から入ると、あとは落ちていく一方です。
 0点スタートで、加点していけばいいのです。
 わからないことは、知っていくプロセスにたのしみを見出せます。
 理解できないことが、未来のたのしみになるのです。

 P.S.
 
 
 私が笑えないところで、会場に笑いが起こります。
 知らないと、笑えないのです。
 笑えないのは、ツマラナイのではなく、ついていけてないのです。
 もっと知りたくなりました。

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2015年1月20日 (火)

負けることで、スタートしよう。

 勝つことだけが大切なことではありません。
 きちんと負けることも大切です。
 きちんと負けることで、次に進むことができます。



 『きちんと負けろ』が、映画【アゲイン 28年目の甲子園】のキーワードです。
 中井貴一さん演じる坂町は、きちんと負けることで、失ってきたことをひとつひとつ取り戻していきます。
 『あーなったのは、俺のせいじゃない』
 『俺はまだあの時のことを許せていない』
 そう言って過去の出来事を引きずる人は多いです。
 映画にはそんな過去を引きずる元高校球児たちが出てきます。
 時間が過去で止まって、動かないのです。

 坂町は心を閉ざしている娘との関係に向き合います。
 『試合、観に来てくれないか』と、はじめて今の自分の気持ちを伝えます。
 チケットを渡すと、娘の心の奥底にあった感情があふれ出ます。
 自分の気持ちを伝えたから、娘も父に対して言いたいこと言えたのです。
 あのシーンで初めて、坂町は娘に“きちんと負けた”のです。
 心が癒える瞬間は、心の中にある思いを言えた時に起こります。
 『癒える』とは、『言える』ことです。
 娘は坂町が伝えてくれたことが、本当はうれしかったのです。

 なにかチャレンジした時、『うまく行きました』『ダメでした』で終わったら、その結果以外は残りません。
 どうしてうまくいったのか、どうしてダメだったのか、まで考えます。
 『次はこうしよう』まで考えないと、ただやっただけのことです。
 特に運良くうまく行ってしまった側は、『勝ったからいいや』で終わります。
 これが一番悲惨なパターンです。
 次勝てるとも限りませんが、なかなか次の工夫まではしないのです。
 『ダメでした』には、可能性があります。
 負けたことで、『次はこうしよう』が必ず見つかります。
 
 “きちんと負ける”ことは、終わりではなく、スタートなのです。


 P.S.
 たったひとつの詰まりが取れるだけで、すべての歯車が回り始めます。
 根っこの問題に向き合っていく中で、すべてが変わり始めていくことが、この映画には描かれています。

 P.S.2
 父と、キャッチボールをしたくなりました。

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2015年1月16日 (金)

『気づけばやりすぎていた』くらい、夢中になってやろう。

 『これはやりすぎでしょう』という場所に、コアなファンが生まれます。
 『あらゆる人に満足してもらいたい』というのは、聞こえは良いですが、やり方としてはツマラナイです。
 『あらゆる人に』と考え始めると、『好きだからやる』ではなくなります。
 やらされている感がどうしても出てくるのです。
 100人いたら100人感じることは違います。
 その100通りの感じ方は、すべて正しいです。
 『大嫌い』と言う人いれば、『こんなスゴイものが世の中にあったのか』と、感激する人もいます。
 振れ幅の大きいものほど、ハマった時の深さは底なしに深いのです。

 

 私は天下一品のこってりラーメンが大好きです。
 天一のこってりは、言うほど“こってり”していません。
 イメージです。
 よっぽど平太周や麺彩房、いし井、三田製麺所の方が、“こってり”感が強いです。
 天一のすごいところは、スープの感触です。
 感触が、“こってり”なのです。
 あの感触を出しているラーメン屋は、他にありません。
 仮にあったとしても、あの感触を生み出したのは、天一が世界初です。
 世界初は、どこまで行っても越えられないのです。

 天一は、五感刺激の宝庫です。
 味覚だけではなく、五感をフルに刺激して“こってり”感を演出しているのです。
 レンゲに乗せたスープから、重みを感じます。
 スープが黄色いラーメンは、他に見たことがありません。
 音で表現するならば、『ドロッドロ』です。
 そんな音が聴こえてきそうなスープは、他にないのです。
 舌触りは、『ザラザラ』します。
 砂をより粉々にした感じです。
 スープの香りは独特です。
 口に入れて広がる風味が、嗅覚を『ボワッ』と刺激します。
 これほど五感に訴えかけてくるラーメン屋は、ありません。
 天一で五感をはたらかせてみると、他のラーメン屋では『感じれない感覚』しかないのです。
 大衆ウケはしません。
 嫌いな方は多いです。
 『アレはやりすぎだ』という一点勝負の場所に、コアなファンが生まれます。
 
 コアなファンは、すでにラーメンとも思っていません。
 天一は、天一味という、世界初の『天下一品料理』なのです。
 
 五反田はラーメン激戦区になりました。
 醤油、味噌、塩と、すべての味を売ろうとするお店は生き残れません。
 なくなったお店もたくさんあります。
 愚直な一点張りのお店に、平均点を目指すお店は勝てないのです。
 天一には、流行りがありません。
 大行列もありません。
 だからこそ強いのです。

 P.S.
 自分が『好きだな』と感じるお店があったら、『なんで好きなんだろう』と考えてみます。
 好きなお店で感じたことを、自分の仕事に置き換えて活かすには、どうしたらいいだろう。
 そこまで考えると、まだまだ工夫できることを、発見できます。

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2015年1月15日 (木)

痛みはあなたからの、やさしい贈りもの。

 体を痛めると、イヤでも自分と向き合えます。
 失ってはじめて、普通が普通でないことがわかります。
 痛みはツライことでもありますが、広い視野をもって考えれば、痛めることでオオゴトにならずに済んでいるのです。

 月曜日の夜、サッカー小僧に誘われ、フットサルをしました。
 急なストップをした際、両母趾に変な力がかかり、腫れてしまいました。
 両爪から出血し、色が変わっています。
 私の歩き方は、前着地です。
 かかとから着地をしません。
 いつものようには歩けなくなりました。
 自然とゆっくりになります。
 これは『ゆっくりいけ』という、体からのサインです。
 

 例えばギックリ腰にしても、基本は体の疲労からです。
 痛むことで、休みたいのです。
 体から発せられるサインは、ありがたいものです。
 痛みはツライですが、痛みのお陰で、大事故から逃れてもいるのです。
 風邪も同じです。
 気づかぬうちに疲労が蓄積していたことを教えてくれるのです。
 そう考えると、体は自分のものではありません。
 客体です。
 意識と体は別ものです。
 意識が『まだ行ける』と思っていても、体がもう休んでほしいのです。
 
 『そんなにストレス溜まってなかったんだけどな』と私が思っていても、あなた(体)がそうは思っていないのです。

 痛めることで、体の使い方に意識が向きます。
 どうすれば痛まないかを、試行錯誤しながら治っていきます。
 痛いということは、その痛めた瞬間から治そうとしている証拠でもあります。
 今朝から、あなたからのサインが薄れてきました。
 『そろそろ普通に歩いてもいいよ』と、許可してくれたようです。
 ここのところ、セカセカしていました。
 あなたのお陰で、休まりました。

 P.S.
 自分のことばかりでは、きっとまた、あなたに叱られますね。

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2015年1月14日 (水)

旬である今から、スタートすればいい。

 遅れを取り戻そうと考えて、過去のことから始めないことです。
 今日やりたいところから、今すぐスタートすることで、時間の無駄をなくせます。 

 映画【ST赤と白の捜査ファイル】はもともと連続ドラマです。
 私はTVを観ないので、ドラマのことを知りませんでした。
 ここで、過去のドラマを全部観てから映画館に行こうとすると、乗り遅れます。
 モタモタしている間に、映画が終わってしまいます。
 それよりは、まず最新の映画から観てしまうことです。
 そうすると、過去のドラマも気になります。
 過去のものはレンタルでいつでも観れます。
 いま観たいと思ったものは、今が旬です。
 食べ物と同じで、観るものにも旬があるのです。
 DVDになってからでいいやという考え方もありますが、映画館とは臨場感が別ものです。
 


 昨年の【るろうに剣心】も、内容は知りませんでした。
 『マンガを読んでから行こう』
 『アニメをすべて観てから』
 『前作の映画版を観てから』
 そう言っている間に、終わります。
 京都大火編はひとつも知識がなくても、“おもしろい”“カッコイイ”と思いました。
 そうやって作られているのです。
 伝説の最後編が公開される前には、アニメをすべて観てしまいました。
 過去をすべて押さえてから、今に合わせようとするにはエネルギーが入ります。
 遅れを取り戻そうとすると、どうしても“やらなきゃ”感が出てしまうのです。
 やらなきゃと思ってやることは、たのしくありません。
 遅れを取り戻すには、今からスタートすることです。
 今から始めることで、過去がスムーズに片付いていくのです。
 それが、時間を無駄にしないコツです。

 日記やブログに似ています。
 過ぎたことを思い出しながら書くのは疲れます。
 疲れる割に、文章にエネルギーもありません。
 今日感じたことを、今から書き始めればいいのです。

 P.S.
 映画【ST】は、ドラマ版を知らない人でも充分に、赤と白の関係が伝わってきます。
 せっかくだから、ドラマの第1話だけ観てから行くと、よりイイですよ。

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2015年1月13日 (火)

一瞬の表情と間のすべてに、意味がある。

 映画は、ワンシーンからどれだけの非言語の世界を読み取れるかで、作品のおもしろさが変わります。
 本を読むことと同じです。
 書かれていることの、行間を読む力が問われます。
 書かれていないことを発見することが、本を読むおもしろさです。
 映画のワンシーンの、表情の変化や、一瞬の間に、『あ、やっぱり』がたくさん隠れています。
 
 私の場合、まだまだ見落としている部分がたくさんあります。
 何度でも観たくなります。
 映画の約2時間には、一切の無駄なシーンがありません。
 2時間で壮大なスケールを、ストーリーとして伝えるのに、無駄をしていられません。
 非言語の中に、ストーリーが隠れています。
 それを自分の中で想像して言語化するから、おもしろいのです。

 【96時間 レクイエム】で、切れ者警部が事件現場にあったパンをひと口食べます。
 そこに、一瞬の間があります。
 現場を調べている仲間に『お味は?』と聞かれ、『うまいね』と、サラッと答えます。
 この一瞬の間に、切れ者警部が事件の答えを見つけたことが、表現されています。
 ひと口のパンで、容疑者が犯人ではないことがわかるのです。
 優秀な部下たちには、伝えません。
 優秀な部下たちは、容疑者を犯人と思い追いかけます。
 切れ者警部が容疑者を追いかけるのは、真犯人を捕まえるためです。
 裏で大きな組織が動いていることを、パンから読み取っています。
 追いかける目的が違うのです。
 優秀な部下は、この勝負は楽勝だ、と思っています。
 切れ者警部だけが、最初から手ごわい敵だと、わかっているのです。
 映画の終盤で、『パンが温かかったから、君が犯人でないことはわかっていた』と、切れ者警部が言うシーンがあります。
 『やっぱりね』と思うと同時に、言わずに非言語のままにしておいてほしかった、とも思いました。

 今回が96時間シリーズのラストとは言え、まだリターンがあるのではないかと想像します。
 ラストシーンで、優秀な部下たちが切れ者警部と、容疑者を“据わった眼差し”で見るのです。
 そのワンカットが、なにを意味するのだろう。
 そう考えると、想像力がはたらきます。
 たったひとりを捕まえ切れなかった優秀な部下たちのプライドをかけた復讐劇の始まりです。
 数年後、刑務所から出てきた犯人と、きっと手を組み二人に復讐するのです。
 今度は、切れ者警部と、リーアム・ニーソンのタッグです。
 その時のために、観ていない前2作も観ておこうと思います。
 きっと前2作を観てから今作を観たら、またおもしろい発見があるだろう。

 P.S.
 リーアム・ニーソンがセクシー過ぎです。
 自分も将来、あんなカッコよすぎるオヤジになりたい。

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2015年1月11日 (日)

体は、アートです。

 体を科学的にとらえるか、ひとつのアートとしてとらえるかで、その見え方はまるっきり変わります。
 科学的に見ようと“し過ぎると”、かえって見えなくなるのが体です。
 

 病院は科学的に見ようとします。
 100回実験したら、100回同じ結果が出なければいけないのが科学です。
 『この病気は、○○が原因で、こういう症状が出ます』と、決まっていなければならないのが、科学的な見かたです。
 『こんなことも、あんなことも、まさかそんなことまであり得るよね』というのが、アート的な見かたです。

 頭痛が酷く、病院であらゆる検査を受けて来られた方がいました。
 MRI、CTから、血液検査まで、あらゆる検査を受けても『はっきりとした原因が、わかりません』と言われ、怒って来られました。
 本当は、怒らずに、喜ぶべきことです。
 緊急性を伴う深刻な問題が検査で見つからなかったということは、外科的な処置が必要ないのです。
 あらゆる検査をしてくれたお医者さんに感謝です。

 自分の体をアートとして観察してみると、頭痛を起こす可能性など、いくつも見つけられます。
 100人いたら、100通りの見解があるのがアートです。
 頭痛も100人いたら、100人違う解があります。
 基本的に、特定できる原因など病院で見つかるわけがないと思っておいた方が、本来自然なのです。
 問題は自分の中にあるからです。
 今すぐ処置しなければいけない重大な問題がないとわかっただけで、充分に検査の意味がありますし、感謝なのです。

 先日、風邪が流行っている時期に、予防として風邪薬を飲んでいるという話を聞きました。
 これも予防の意味がズレ過ぎていて、ちょっとビックリです。
 体が可哀想です。
 なにか症状があると迷わず薬に頼りっきりな方もいます。
 薬は必要なものですが、自分自身を見ようとしないことに問題があります。
 体がサインを出してくれているのに、自分のことを振り返るチャンスを逃しているのです。
 サインを消すことに奔走するのです。
 もっと自分の体の持つアートに、目を向けてもいいのではないだろうか。
 痛みが良くなっていくプロセスは、不思議なアートだと思うのです。
 人のなおろうとする力は芸術的です。
 そのすごさに、気づけないのはもったいないと思うのです。
 アートには無限の見解があります。
 アートに、原因不明はありません。
 体をアートとして見ると、可能性がたくさん見つかります。

 病院にも、薬の力にも感謝できます。
 元気に仕事や遊びに行けることにも感謝できます。

 カズヨシさんが『ある場所を走っていると、妙に体調不良になることがわかったんです』と、おもしろい話をしてくれました。
 ある土地に行くと、必ず腰痛や、体調不良に見舞われるというのです。
 そのことにある時気づき、その土地のことを調べると、“土地特有なコト”があったそうです。
 そういう見かたができるのは、体をアートとして見れているからです。
 科学的にはわからない“その土地から発せられている何か”を、カズヨシさんは頭より先に『体で感じた』ということです。
 このような微細な感覚は、誰もが内包しています。
 頭より先に、皮膚が感じているのです。
 体の可能性、芸術性を感じます。


 まずは天気や気温を数字で見る前に、体で感じてみることです。
 今、北海道では2℃あると暖かいそうです。
 東京で2℃と聞くとメッチャ寒く感じます。
 -30℃が、-10℃になったら、暖かく感じるのが体です。
 そんな日常の感覚を大切にしていくことは、自分の体が本来もつ芸術性を呼び覚ますきっかけとして、良いのではないでしょうか。

 P.S.
 走っていると、なんか今日はこっちの方行に行きたいな、と感じます。
 体の感じる方に向かって、走っています。

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2015年1月 9日 (金)

お店に好かれる人に、なろう。

 『今日はあのお店に行こう』と思った時、店員さんの顔が思い浮かぶお店は、特別なお店です。


 カズユキさんは、いつも飛び込みで来院します。
 『先生、何時が一番早いですか』と直接来るのです。
 飛び込みは、営業マンか、カズユキさんのどちらかです。
 今は五反田のオフィスではなく、現場仕事で群馬へ泊まり込みだそうです。
 工場が止まるタイミングでの作業のため、正月やGWは関係なく仕事のようです。
 『今日は五反田のオフィスだったのですか』と聞くと、『ここに来たくて五反田に来たようなもんです』と言ってくれました。
 体ももちろんお疲れですが、私に新年の挨拶をしに来てくれたのだと感じます。
 
 今日も仕事に来てよかった、と思いました。


 私も行きつけのお店がいくつかあります。
 気に入ったお店には、通い詰めます。
 すぐ顔見知りになり、店員さんと話すようになるのは早い方です。
 自分が好きだなと思うときは、レジで『これメチャクチャうまいですね』と話かけます。
 最近は陳麻家という四川麻婆豆腐のお店が好きです。
 料理も好きですが、店員さんとひと言二言話すのがなんとなく好きで、また行きたくなるのです。
 五反田に数店舗姉妹店がありますが、味が同じでも、他には行きません。
 そこの店員さんが、好きなのです。

 友達も連れていきます。
 年末、私と友人たちに、『これ特別サービスです』と、フカヒレを出してくれました。
 その気持ちが、うれしいのです。
 先日の仕事後、しのぶさんを連れて行くと、『アレーわからなかった、いま気づいたよ』と、髪を短く切り、ヒゲが伸びている私に笑って話しかけてくれるのです。
 とても笑顔のやさしい女性店員さんです。
 店長さんも『今年もよろしくお願いします』と、わざわざ厨房から出てきてくれました。

 おいしいお店はたくさんあります。
 人とのつながり感をもてるお店は稀少です。
 はじめて行った時、店長さんはお客さんと競馬の話をしていました。
 また別のお客さんとは、仕事の話をしていました。
 その感じが、いいな、と思ったのです。
 
 『おいしいから』だけの関係のお店もあります。
 大半がそういうお店です。
 本当に好きになるお店は、『おいしいから』だけの関係で、終わりません。
 そこではたらく、人を好きになります。


 最近行っていない、好きな人がいるお店を思い出しました。
 近いうちに、あいさつをしに行ってこようと思います。

 P.S.
 今日も陳麻家へ行きました。
 女性店員さんが僕を見るなり、笑っていました。
 『また来たの』という顔でした。

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2015年1月 8日 (木)

自分だけの、深いリラックス法を、見つけよう。

 眠れる映画は最高です。
 眠ってしまった映画と、ツマライと感じる映画は、イコールの関係ではありません。

 過去の経験上、宇宙ものと感動ものは、眠ってしまうことが多いです。
 映像の美しさ、シーンの静けさで眠くなります。
 目が覚めたらラストシーンからエンドロールへ変わる瞬間でした。
 つまらないから眠ってしまうのではありません。
 その空間に、リラックスできるから眠ってしまうのです。

 
 映画館で眠るという、贅沢なたのしみ方のひとつとも言えます。
 

 デートで映画館に行って、男性側が眠ってしまうことがあります。
 女性が怒る気持ちもわからなくないです。
 もし、私が彼女と映画に行って、彼女が隣で爆睡しても、まったく嫌な気持ちにはなりません。
 終わってからよかったシーンを、おもしろく語ってあげようと思います。
 毎週1~2本ペースで映画館に行っていると、眠ってしまうのもイイコトだと思うようになりました。
 疲れているのではありません。
 その空間に、リラックスしているのです。
 映画館にいて、二人でいて、リラックスできるなんて最高の空間ではないでしょうか。

 美術館で眠くなることもあります。
 イスに座って目をとじることもあります。
 芸術のある空間で目をとじれる、とても心地の良い時間です。
 クリスマスの時、ベーチェチョルさんの歌声を聴きながら、眠ってしまいたい心地よさを感じました。
 歌声だけではありません。
 立派な教会の雰囲気や、その場の安心感でリラックスしたのです。
 私の友人は、氷室さんのLIVE中に眠りに落ちました。
 好きなモノに触れたり、心地の良い場に行くと人は深くリラックスできるのです。
 ヒロコさんはオペラや歌舞伎の観賞中に眠ってしまうことがあるそうです。
 『場のイイところって、眠くなるじゃない。それもたのしみ方の、ひとつよね』と言っていました。
 素敵だな、と思いました。
 緊張する場や、不快な場所では、気持ちよくは眠れません。
 映画館で眠ってしまうことは、普通のことなのです。
 


 P.S.
 ベイマックスを、終始ウトウトしながら気持ち良く観ました。
 エンドロール中、AIさんのStoryが、最高に心地よかった。


 P.S.2
 眠って怒られたことのある方は、まったく気にしなくて、いいと思うよ。
 安心できる人と一緒にいたら、眠くもなるよね。


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2015年1月 7日 (水)

疑問符は、自由への招待状だ。

 『なんで?』『どうして?』という疑問にたくさん触れることは、感性を豊かにすることにつながります。

 美術館へ行くと、疑問符だらけです。
 

 『この絵がなんで芸術なの』
 『これはなにを表現しているの』
 『なんで、こんな絵を描いたのだろう』
 

 そんな?マークがつくものが、たくさんあります。
 この疑問が解消したくて、絵の横にある解説を読んでみても、ちっともおもしろくありません。
 読んでいて、だんだん疲れます。
 展覧会に行き慣れていない頃は、これでかなり疲れました。
 すべてを観ようとしてしまうのです。
 絵画を観に来ているのか、字を読んで知識を増やしにきているのか、わからなくなります。
 真面目な人がやりがちなことです。
 そこに執着しすぎると、本来の絵画をたのしむこと、感じることから、離れてしまうのです。
 
 

 疑問に対して、なんでも正解を求めることは、不自由です。
 正解はこうあるべき、は自由と対極にあります。
 自由は、疑問に対して自分なりの答えを見つけていく中に、芽生えてくるように思うのです。

 だから答えは変わります。
 右だ、と思っていたものが、ある時から左になって、また右に戻ったりします。
 
 展覧会をたのしむには、そういう自由さが必要です。
 『これよくわからない』という宙ぶらりんな状態をたのしめることが、自分なりの答えを見つけるには必要です。
 疑問に思った時点で、無限の答えがあります。
 発想は、自由です。
 自由な答えを見つけられることが、感性です。


 国立西洋美術館で開催中のホドラー展を回りながら、そんなことを思いました。
 『初期の風景画はよりリアルさを感じるけど、後期の風景画はなんでタッチが変わったのだろう』
 
 そんな疑問を、自分なりにたのしみました。
 私は、初期のタッチの方が好きでした。


 P.S.
 真剣に観ようとすると、逆に観えなくなるのが、アートかもしれません。

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2015年1月 5日 (月)

微差が大差です。

 すれ違うことは、幸運の種です。
 人はすれ違いの葛藤の中から、自分を見つめ、相手を思いやり、自分の進むべき方向を見つけていくのだと思います。


 映画【あと1センチの恋】は、只管すれ違います。
 本当は愛し合う二人が、すれ違いながら自分の生きる道を見つけて行くのです。
 どうしてこんなにもすれ違うのだろうか。
 他人の目を気にして、すれ違い続けるのです。
 『他人の目』とは、『お互いの目』です。

 お互いのことを考えて、近づけないのです。
 あと1センチ分、テキーラを残していたら、すれ違いは起きませんでした。
 この『タラレバ』に、意味はありません。
 あとづけの負け惜しみに過ぎません。
 『あの時、あっちにしておけばよかった』と言ってみても、そうはならないのです。
 逆に、もっと悲惨な運命を辿ったかもしれません。
 人は自分が選択しなかった方を、肯定したくなります。
 『タラレバ』にはキリがありません。
 過去だからです。
 言い続ける限り前を向けないのが『タラレバ』です。

 

 今伝えたいことは、今しか伝えられません。
 今思っていることも、1か月も経てばまた違った表現になります。
 実際にはそんな時間はいりません。
 夜から朝になれば、伝える表現はまったく変わるものです。
 夜に書いた手紙を、朝読みかえしてしまうと、恥ずかしくてもう出せないように。
 今伝えたいことは、今です。
 伝えたことでどうなろうが、それはそれで良いのです。
 そうなるべくしてそうなるし、どんなプロセスを経ても、うまく行くものはうまく行きます。
 うまく行かないことは、うまく行かないのです。
 『タラレバ』はないのです。
 うまく行かないことも、うまく行くためのプロセスの真っ只中だと気づけば、それすらも本当は良いことなのです。
 すれ違いながら、二人は自分の気持ちにケリをつけていきます。
 今までのことも受け入れ、未来に進むのです。
 その先に、新たなる出逢いが生まれました。



 P.S.
 【あと1センチ】というタイトルが絶妙です。
 1センチを小さくとるか、大きいものととるか。
 冷蔵庫を買っても、幅が1センチ大きければ、きれいに納まりません。
 そうなれば邪魔になります。
 サッカーも1センチでゴールポストに嫌われることがあります。
 その1センチで、チームの運命は大きく変わるのです。
 あと10センチでも、あと1ミリでもなく、あと1センチがリアルです。
 近いけど、果てしなく遠い1センチです。
 小さい差と思うコトこそ、大切にしたいですね。

 P.S.2
 PG12映画だけあって、『エロあるある』が笑えました。

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2015年1月 4日 (日)

欲望と、向き合おう。

 欲望は誰にでもあります。
 欲望があることはいけないことのように考えがちです。
 
 欲望は生きる原動力です。
 欲望があることと、溺れることは別です。
 自分の欲望に向き合うことが、周囲との関係を立て直すことに直結します。


 映画【ホビット~決戦のゆくえ~】の中で、ある一国の王が自分の欲望に溺れていきます。
 自分だけの利益に走りだすのです。
 そんな思いも、はじめは足先が浸かる程度でした。
 『もっともっと』が、欲望に溺れる入口です。
 『もっともっと』が、全身を支配していくのです。
 そんな王が、欲望に溺れそうになりながらも、目の輝きを取り戻す瞬間があります。
 友と未来の話をする時、フッと表情がやわらかくなるのです。
 王の父は、欲望に溺れ一国を滅ぼしました。
 『俺は父とは違う』と言い続けている時には、溺れている自分に気づけません。
 胸を越えて、ギリギリ呼吸ができるくらいの所までどっぷり浸かっているのです。
 友はその姿を見守り続けます。
 『俺も父と同じじゃないか』と自分の欲望と向き合えた時に、利益ばかりにとらわれていた自分の中にある闇から解放されるのです。
 

 欲望は誰にでもあります。
 欲があるから、得るために前に進むことができます。
 欲はあって良いのです。
 
 自分だけがうれしい欲望に走り始めると、周囲との関係を滅ぼしていきます。
 これは周囲との関係がうまく行かない時に、一度考えてみる指標になります。
 『自分だけが利益を得ようとしていないか』
 『この自分の欲望が満たされるということは、誰の役に立てることなのか』
 『この欲望が満たされることで、誰が喜んでくれるのか』
 自分の今していることに迷いが生じた時に考えてみるといいですね。

 P.S.
 再び立ち上がることを信じて、友は王に、やさしい嘘をつきます。
 嘘も『自分のための嘘』と『仲間(自分以外)のための嘘』とで、意味や結果が変わります。

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今年も、ひとまず、やってみよう。

 あけましておめでとうございます。
 今日から一足はやく、スタートです。
 昨年末から止まっていたエレベーターも、今日でついに工事が終わります。
 明日からは普通に6Fまで上がってこれます。



 マリさんは高所恐怖症です。
 エレベーターの件は伝えておりました。
 それでも、『4日、一応入れておいてもいいですか』と、予約を入れていました。
 『上がってみます。無理だったらごめんなさい。連絡します』とのことでした。
 今朝、階段を上がりながら、マリさん登れるかなぁ、と思っていました。

 『4階まで上れたんですけど、それ以上はとても怖くてダメでした。いま下に降りてきちゃいました』とキャンセルの電話がありました。
 
 4階でも高いところが苦手な方にとっては怖いです。
 ビルの非常階段は下がモロに見えるので、尚更です。
 最初からやめておくのではなく、予約を入れておいてチャレンジするところがマリさんらしいです。
 きっと下を見ないように、上を向いて上がってきたに違いない。
 2015年一発目から、ナイスチャレンジでした。



 今日も6Fまで階段であることを伝えておりますが、『大丈夫です。行きます』というツワモノたちが来ます。
 明日からバリバリ仕事できるよう、休みでなまった体に元気を注入していきます。

 2015年も無事スタートです。
 今年もよろしくお願い致します。


 
 P.S.
 この1週間、6Fまで階段で何度も往復しました。
 エレベーターって本当に便利です。
 あと、階段を使うのも悪くないですね。

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