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2019年8月14日 (水)

腰痛と腸内環境の連関性について

生活習慣病という言葉がある。
読んで字の如く、「生活習慣が招く病」である。
不摂生と不養生の蓄積が、生活習慣病と言える。
生活習慣病をネットで検索してみると、食事や運動、喫煙、飲酒、ストレスが関与し、発症する疾患の総称とのことです。
ガンや、脳血管疾患、心疾患、その危険因子となる、動脈硬化や高血圧、糖尿病も含まれると書かれております。

となると、腰痛や肩こりだって一種の「生活習慣病」ではないか。
私はそう考えている。
不摂生と不養生の結果が、腰痛であり、肩こりなのだ。
事実、腰痛は「脚がない生活病」だ。
脚の存在がない生活習慣が、腰に痛みを信号として発するのだ。
だから寝起き痛くても歩いている内に痛みが緩和していく方は多い。

 

病気というのは名詞になって初めて病気となる。
立川昭二氏の「からだことば」という著書で知ったことです。
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「腰が痛い」と言っている内は、主観として感じていることであり、病識はあるけど病名ではない。
「肩が凝る」も同様、病名ではない。
今は「腰痛」「肩こり」と言うように、れっきとした「病名」なのである。
そういう観点からも、腰痛や肩こりというのは、ひとつの生活習慣「病」と言えるでしょう。

 

現代医療の間違いは、「生活習慣病を薬で治せる」と勘違いした点だ。
また、多くの人がそのように勘違いをしている現状がある。

執行草舟氏の著書で、現代医学のことがこのように書かれている。

現代医学は、基本的に外科的処置を必要とする病気や細菌病に対して出来たものなのです。
【中略】
現代医学は、外科的病因や細菌病までにしか適用できません。
つまり、外的な要因から起こる病気という意味です。
【中略】
それが、自分の内部で、自分が原因となってもたらされる病気も医学で治ると思ったところから、間違いが始まったのです。
実は現代人が、病気だと思って嫌がる、痛みや発熱やかゆみなどの症状は、全て自分の生命エネルギーを高めようとしたり、自己が自己以外の他の何ものかを排除しようとする身体の活動なのです。
生活習慣病の症状も、同じです。
【生命の理念Ⅰ49頁より抜粋】

生活習慣病は「内から起こるもの」である。
どれだけ薬を飲もうが、その人自身が不摂生と不養生を見直さなければ、治ることはない。
そう書かれていることが解る。
腰痛や肩こりも同様だ。

この当たり前が、今は解らない人が多過ぎるのだ。
「薬が治してくれる」とでも思っているようだ。
高血圧を降圧剤で下げるのはあくまで一時しのぎであり、同時に不摂生と不養生を正すことでその難を逃れるハズなのだが、9割以上の人は降圧剤に頼り切り、養生への努力など一切しないのが現実だ。
降圧剤の長期使用と痴ほうの連関性も言われているが、当然と言えば当然のことだ。
血圧が上がるのは、末端にまで血液を供給しようとする身体の反応だからだ。
降圧剤を使い続ければ、末端に血液供給がいかない。
脳への血液供給が低下し続ける生活をしていれば、痴ほうが進んでもおかしくはない。



風邪に対しても同様に勘違いしている。
風邪薬は1ミリも風邪を治してはくれない。
1ミリもだ。
あくまで症状を抑えるだけだ。
それはインフルだろうが同様です。
風邪薬は、不快症状を和らげることで、過度の消耗を防ぎ自身の免疫作用を賦活させるために使うものだ。
治すためではなく、無理なく風邪を「経過させるため」にあるのだ。
熱が40度あったらさすがに辛過ぎる。
だから38~39度くらいにして、あとは免疫の力に身を委ね経過させましょう、ということだ。
だが今はその不快を厭い、強い薬で症状を完全に抑え込もうとする。
抑え込み「治った」と勘違いをしている。
「症状を止める」ということは、「免疫の賦活を止める」と同義なのだ。
「クスリ飲んでるのに治らない」とよく聞くが、クスリで免疫機能を抑えているのだから、治らないのは当然なのだ。
風邪をぶり返すのは、そもそも治っていなかっただけの話なのです。
要は、養生不足なのだ。

「風邪の引き始めに抗生物質なんてまったく意味がないが、出さないと患者さんに文句を言われるから出している。意味ないけど出さないことにはクレームになるからね~」
当院に通っているお医者さんが以前話していたことです。

抗生物質は風邪の治りかけならまだ解る(私は絶対に飲まないが)。
引き始めに飲んでもまったく意味がない。
それこそ腸内環境を壊すだけだ。
そういう当たり前が、今は当たり前でなくなっていることが怖い。

 

腰痛を注射で治りますよとお医者さんは言いますが、断じて注射では治らないと言い切れる。
症状はなくなるかもしれないが、それは抑え込んで無理くり鎮めたに過ぎない。
肩こりを筋弛緩剤で抑える人もいるが、それで「治る」ということは断じてないと言い切れる。
やはり無理くり鎮めたのだ。
生活習慣病の症状を抑えにかかると、また別の症状を生み出すのが身体です。
そうでないと辻褄が合わないからだ。
身体の訴えに嘘はないのだ。

 

腰痛や肩こりといった症状は生命エネルギーの発露です。
身体は懸命に注意喚起を促し、治ろうとして症状を出している。
症状を止めることに躍起になることは、生命エネルギーを止めにかかっているのです。
だから薬とは上手に付き合う必要がある。
たしかに激痛ではツライ。
激痛を緩和させつつ、自己の生活を見直さない限り、症状は出続けるのだ。
姿形をかえて。
ギックリ腰の激痛も、「激痛を出さないとバランスが取れない状況にあるから激痛が出ている」のです。
そうやって痛みの見方を変えるだけでも、自己を見つめなおすきっかけにできるのだ。

あらゆる生活習慣病の症状を止めることに躍起になると、また別の症状を生み出すことになる。

解りやすい例が、五十肩などの肩の痛みだ。
左右が同時に痛むことは、まずない。
あっても、相当なレアケースではなかろうか。
左右同時に肩が激痛というケースには、15年以上施術をしてきて、出会ったことがない。

「右が治ったと思ったら、左が痛くなった。」

そういう人は非常に多い。
多くは、湿布を使い続け、注射を繰り返した人だ。
症状を抑えにかかり過ぎると、別の症状が生まれるのだ。
それが、逆側の肩だった、というだけのことです。

多くの人は、右が使えなかった分、左に負担がかかっていたからだ、と勘違いをする。
それを機械論という。
そんな機械論的に身体を見ていても、一生本質にはたどり着けないのだ。
身体は機械ではない。
AしてもBにならないのが身体です。
一流のメジャーリーガーと同じように育てれば、一流のメジャーリーガーに育つかと問われればそんなことはあり得ないのだ。
持って生まれた個別性が人間にはあるのだ。
どんなに東大に入りたくても入れないのが人生であり、それを解ることが自己の生命を活かし切ることにも繋がるのだ。

痛みを生命エネルギーの発露と考えれば、どこにだって痛みが出ることが解る。
なにも不思議はないのだ。
症状が出なくても良いように、不摂生と不養生を正していくことがもっとも大切なことなのだ。

 

腸脳相関から考えても腸の状態が腰痛や肩こりに関与していてもまったく不思議ではない。
鬱の人の腸内細菌は不活性化していることは既に言われていることだ。
腸の状態次第で身体も怠いのだ。
炎症だって起こるだろう。
朝の寝起きの怠さ=体内の慢性炎症と考えて間違いはない。
腰椎と腸を動かす神経は共通しているのだから、「腸の調子が腰の調子」でもなんら不思議ではない。
更に言えば、腰痛や肩こりも感じているのは脳なのだ。
脳が感じていることは、腸内細菌も感じ取っているに違いない。
腸内環境に応じて身体症状の出方は大きく左右されることは間違いないだろう。

 

腰痛の人の腹部は触ると固く、圧痛部分がたくさん見つかります。
腰痛肩こりなどの身体症状が出る場合、消化器疲労を考えてみる必要がある。
腰椎の矯正後、腹部の固さがスッと抜けることがある。
すべてとは言えないが、過度の緊張が抜けるだけでも身体は楽になるものだ。

私は夜食などの不摂生が続くと左肩にコリを感じる。
また左の背中がボッコリと厚みが出てくる。

そうした身体の反応が出たら不摂生と不養生を改めるきっかけとしている。

引き続き、腸内と身体症状の研究を続けていきたい。

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