痛みは抑圧された感情の解放という側面を持つ。
悪いものを食べれば自然と吐いたり、お腹を下したりするのは、「腸が強い」からです。
腸が健全だから、とも言えます。
悪いものを食べても、吐き出せず、お腹を下せないのは、「腸が弱い」のです。
後々、大病するでしょう。
少しだけ考え方を変えてみると良いのですが、何か症状が出ている時は、100%の確率で「あなたの状態を良くしようとして、その症状を出している」ということです。
それが、頭痛であろうが、腰痛であろうが、指の痛みであろうが、吐気や生理痛であっても。
極論に聞こえるかもしれませんが、たとえば心筋梗塞の苦しさですら、あなたを良くしようとして起こるわけです。
「早急に救急治療を受けなさい」というサインなわけですから(おそらく、その以前から小さくサインは繰り返し出ているものですが…)。
腰痛や頭痛は、ひとつのサインとして考え、「身体は何を訴えているのだろうか」と向き合ってみる。
一人ひとり答えは違います。
先日、ある方が、「仕事でAさんに会うと、だんだん痛みが強くなる」とおっしゃっておりました。
Aさんのことが、どうも苦手だと。
これは普通のことで、極々自然に起こる自律神経の成せる業なのです。
仕事ですから、「私はあなたが嫌いです」とも言えないでしょう。
だから、心に湧いている感情を押し潰して仕事をするわけです。
その押し潰している感情(心)もエネルギーですから、肉体には蓄積するわけです。
特に空間に溜まる。
胃に溜まれば、吐気となる。
腸に溜まれば、下す。
関節に溜まれば、関節を構成する組織が痛む。
抑圧された感情が蓄積すると、後々に激痛が起こります。
ぎっくり腰や急性の寝違いのような、いわゆる激痛です。
これはスピの話をしているのではなく、医学でふつうに研究されていることです。
しかも結構最先端です。
想いが身体に出ることは、昔から言われていることで、仏教など宗教的には極々当たり前の話です。
いわゆる、般若心経の「色即是空、空即是色」です。
「物質や現象(色)は、何でも生み出す宇宙の結果(空)ですよ」ということです。
宗教にようやく、科学が追い付いてきたようです。
起こる現象は、結果であり、すべてに過程があります。
もちろん、中には気の毒としか言いようもない不幸に直面することもあるでしょう。
でもそれにもやはりプロセスがあり、その不幸すらプロセスなのかもしれません。
生きていればあらゆる毒を喰らいます。
その毒も、強くなるために必要悪だったりします。
どうとらえて前に進むかです。
般若心経の「羯諦羯諦」は、「それでも突き進め」と言っているのだそうです。
立ち止まっていたも仕方がない。
後退ばかりしていても仕方がない。
やはりどんな状況にあっても、現状から出発するしかないのです。
時に後退することも、後の前進なのです。
さぁ今日も最高の一日にしましょう!!
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