カテゴリー「映画」の51件の投稿

2015年4月 5日 (日)

損得を口にすることをしているのは、人生の無駄遣い。「これをやらずして死ねるか」という生き方も選択できる。

 今の自分の仕事や、これからの生き方に迷いがある人は、『ミッション』を持って生きている人に直に触れることです。
 いつもお世話になっている税理士の先生が、「射水くん、これからは自分のしている仕事で誰を幸せにしていきたいのかを、よく考えて生きていくことだよ」と話して下さいました。
 昨年のプロジェクトでも、何度も何度も伝えて頂いた視点です。
 私は今まで一人称すぎたのだと思います。
 こういうお話が2014~2015年にかけてたくさん耳に入ってくるということは、「それを今やれ」という時期であり、「それをしている人から学べ」という天からの声でもあるのです。
 それをするために、生まれてきたのだとも言えます。

 映画【風に立つライオン】のテーマは、『ミッション』でした。
 大沢たかおさん演じる航一郎がしていることは、もはや仕事ではありません。
 仕事ではなく、生まれてきて自分にしかできないミッションをしているのです。
 仕事を、仕事としてやっている人は「残業が多くて」「あの人は私より仕事してないのにいい給料をもらってる」と口にします。
 やりたくないことをやっている人の口癖です。
 航一郎の口からは、裂けても出ない言葉です。
 ミッションをしている人に、残業もなにもないのです。
 人の命が危ない時に、「私、時間だから帰ります」と言われたら嫌です。
 航一郎を支える和歌子(石原さとみさん)は、はじめは仕事をしに来ていました。
 航一郎の生き方に触れることで、自分の生き方も大きくシフトチェンジしていくことになるのです。
 「これをやらずして、死ねるか」が、ミッションです。
 儲かるか、儲からないか、そんな小さいことはどうでも良いのです。
 損得勘定をド返しに生きている航一郎に触れた子供たちが、「将来、俺もこの人のように人のために役立つ存在になるんだ」と考えるようになります。
 和歌子も、厳しい環境にある子供たちも、航一郎に触れたから自分の生き方を見つめることができたのです。

 そんな存在に出会える人は、ごく一部です。
 実際に行動に移す人は、さらにごく一部でしょう。
 「自分は生きていけるだけの給料が得られればいい」という人は、出会えないか、出会ってもスルーします。
 出会う必要がないからです。
 「自分もあんな風に生きていきたい」と思わせてくれる存在が近くにいるのは、自分がそれを望んだからです。
 素直に、恐れずに、飛び込んでいくだけなのです。
 今している仕事を、仕事として一生やり続けることも、ミッションにすることも、どちらのルートに進むかは自分の気持ちひとつで選べるのです。

 【迷いをステップに、踏み出そう。】

 P.S.
 ミッションは、今やっていることの中にあります。 
 航一郎も、はじめは迷い、立ち止まりました。
 それでも自らミッションに飛び込んで行きました。
 それは、最も恐い決断でもありました。

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2015年3月 2日 (月)

自分が触れて、感じたことを、信じよう。

 聞いた話で、人を判断しないようにしています。
 実際に会い、自分自身がその人と触れることでしかわからないことだからです。
 メチャクチャイヤな奴だと聞いていても、実際に会ってみたらメチャクチャイイ奴ということはよくあります。
 人の悪い噂は、聞き流せばいいのです。
 自分の悪い噂が書かれていないか、ネットでチェックする人がいます。
 時間の無駄です。
 読んで落ち込む時間がもったいないです。
 元気が奪われるのであれば、放っておくことです。

 よくネットのニュース欄に、芸能人ブログが炎上したという見出しがあります。
 ファンがヤイヤイやるのです。
 応援もあれば、罵倒もあります。
 まずはそういうものに、自分が参加しないことです。
 私も何度かイヤなコメントをもらったことがあります。
 そういう人の特徴は、必ず匿名です。
 匿名の言葉には、パワーがありません。
 実名で、堂々と言う自信がないのです。
 そんな人の言葉を真に受けるのは、時間の無駄です。
 好きなように言わせておけばいいのです。

 映画【悼む人】で、イジメにより子供の命を亡くしたご両親が、『本当はあの子は殺されたんです。あなたもそれを恨んで下さい』と言います。
 『悼む人』は、きっぱりとそれを断ります。
 犯人を恨み続けるのではなく、お子さんを愛し、お子さんがご両親を愛し、生きた時間があったことを忘れないようにします、と伝えるのです。
 『アイツ、ムカつく』『ゆるせない』と言っている間は、ずっとそのイヤな人のことを考えています。
 時間を捨てています。
 それで気分がイライラするくらいなら、愛する人のことを考えればいいのです。
 許すことは、時間を大切にすることなのです。
 時間は、人生そのものです。


 ネットの書き込みも同じです。
 誹謗中傷を書いている間に、時間は過ぎ、あっと言う間に人生が終わります。
 誹謗中傷を書いている間に、大切な人との時間を過ごせばいいのです。
 

 【大切な人との時間を、大切にしよう。】

 P.S.
 君が誰に悪く言われても、俺は味方でいるから大丈夫。

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2015年3月 1日 (日)

『やり直したい』と素直に言える人が、未来を切り拓いていける人になる。

 人はやり直せる生き物です。
 『やり直す』とは、『自分を見つめ直す』ことです。
 
『自分を見つめ直す』とは、『自分に素直になる』ということです。
 やり直したいと思った時、すぐに始めればいいのです。
 遅すぎということはありません。
 『やり直したい』と行動する時が、時期なのです。

 映画【アメリカン・スナイパー】のクリス・カイルが戦場で放った一発目の銃弾が、彼の立場を一変させます。
 ひとりの兵士から、戦場の英雄となるのです。
 彼の帰る場所が、家族から戦場へと変わった瞬間でした。
 本来の自分と戦場での自分に、距離が生まれます。
 その距離に比例して、家族とも心が離れていくのです。
 仲間を救うために放つ銃弾も、相手は同じ人間です。
 仲間を守るための、残酷な決断です。
 残酷な決断のたびに、彼は英雄になるのです。

 カイルが人生を『やり直したい』と思った瞬間があります。
 報復のために放った、2000メートルの狙撃が終わった瞬間です。
 その一瞬で、自分をガンジガラメにしていた心の鎖がほどけるのです。
 何年も居続けた戦場に、はじめて恐怖心を抱いた瞬間でした。
 何度も仲間を危機から守り、『伝説』と祭り上げられた彼は、後に退けなくなりました。
 『国や家族を守りたい』と使命感から志願した戦場が、『伝説』にとっては居て当然の場所になっていたのです。
 『君のもとに帰るよ』と戦場から妻に電話をかけた表情は、英雄のカイルではなくなっていました。

 『やり直す』とは、『自分を見つめ直す』ことです。
 『自分を見つめ直す』とは、『自分に素直になる』ということです。
 
素直になると、『こんなこと言ってもいいのかな』と周りを気にします。
 
 『こんなこと言ったらどう思われるだろう』と思うのです。
 多くは、今の自分を見て見ぬフリをして、やり過ごします。
 『まぁ人生こんなもんじゃないだろうか』
 
 『今の生活の安定を壊してまで好きなことはできない』
 『いまさら遅い』
 そう考えるのは普通のことかもしれませんが、本当にそうなのだろうか。
 『自分を見つめる』とは、こういった思い込みや制限を一度取っ払ってみるということです。
 
 自分が勝手に作ってきたモノサシでの判断だからです。
 世間体を捨てて、素直に自分がどうしたいのかを答えてみるのです。
 カイルは、国のために、仲間のために、家族のために『こうあるべきだ』と、とりつかれていました。
 伝説の英雄は『やり直したい』というひと言が、ずっと言えなかったのです。
 『君のもとへ帰るよ』と言ってからのカイルに、人間味を感じます。
 地位や名声など、もうどうでもいいのです。
 
 泥臭くも、なにがなんでも生きて帰ろうと走るのです。
 家族のもとでやり直したいと、強烈に願ったのです。
 『こうあるべき』という鎖を、捨てることができたからです。

 【『○○であるべき』を捨てて、今の自分を見つめよう。】

 
 P.S.
 映画【アニー】のキャメロン・デアスも、『やり直したい』という思いから、自分と周囲の未来を動かしました。

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2015年2月18日 (水)

毎日していることに、小さな工夫を付けた足そう。

 大きな変化をしようとすると、挫折します。
 それよりも、小さい変化を繰り返すことです。
 冒険と言うとなにか大きなことをしないといけない気がします。
 冒険は、小さな変化の繰り返しです。

 映画【天才スピヴェット】は10歳の少年がひとり旅に出ます。
 旅に出ると思わぬ事故や失敗に道を阻まれます。
 協力してくれる人との出会いもあります。
 プラスとマイナスの繰り返しで、前に進んで行きます。
 旅の途中の、苦しい痛みをともなう困難も、ラスト一発のハッピーですべて吹き飛びます。
 スピヴェット少年は苦しんだ分、喜びもひときわ大きいのです。
 その瞬間、今までの苦しみがゼロになります。
 生きるということは、こういうことだと感じます。
 走ると、上り坂も下り坂もあります。
 一気に上ってから、緩やかに下り続けることもあります。
 一気に上って、一気に下ることもあります。
 最終的にスタート地点に帰る時には、高低差プラマイゼロです。
 私たちは苦しみ抜いた分、よろこびも得ているものです。
 つらいことを経験している分、ハッピーな経験もしています。
 すべて、プラマイゼロです。

 スピヴェット少年のように、プラスマイナスの振れ幅の大きい人生が冒険です。
 振れ幅を大きくするには、小さな変化を繰り返せばいいのです。
 なにも遠出をすることだけが冒険ではありません。
 毎日の生活の中に、冒険はいくつでも生み出せます。
 毎日当たり前にしている仕事も、工夫次第で冒険になります。
 私の場合、あえて施術の流れを変えたりします。
 そこに小さな発見が見つかります。

 先日、オーダーメイドシャツを買いに行きました。
 オーダーメイドは、何項目も質問があります。
 知らないことばかりで、店員さんが丁寧に教えて下さいました。
 すべてを決めるのに、1時間ほどかかりました。
 ワイシャツには、つくる人のたくさんのこだわりがあることを知りました。
 これも私にとって小さな冒険です。
 小さな冒険に、新しい発見や学びがあるのです。

 マンネリは、自分の行動パターンを変えればなくなります。
 『毎日同じことの繰り返しでツマラナイ』『なにかイイコトないかな』と言う人ほど、ちょっとした心がけで冒険の連続になります。
 スピヴェット少年は、ひとりで小さな一歩を踏み出し、大きな喜びを掴みとりました。
 いつも入るお店の、隣のお店に入ってみるようなものです。
 いつものお店で頼む料理を、変えてみるようなものです。
 最初の一歩は、それくらい簡単なものです。
 明日はどんな一歩を踏み出そうか。

 【いつもしていることを少しズラすと、冒険が始まる。】

 P.S.
 今日はネクタイをいつもと違う色にしてみました。
 スタバの店員さんが、『アレ、いつもと違いますね』と気づいてくれました。
 小さな冒険から生まれるコミュニケーションが、たのしいですね。

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2015年2月 7日 (土)

お金以外の報酬に、気づこう。

 一般的に普通と思われる考え方と、真逆を考えてみることです。
 『普通』の基準は、みんな違います。
 だからこそ、真逆も考えてみるのです。
 自分の本当に知りたいことは、普通とは真逆にあります。
 


 映画【マエストロ!】に『ギャラは大丈夫なのか』と、お金の心配をし続ける楽団員がいます。
 『俺たちはプロなんだから、お金をもらわなければやりません』という、至って“普通”の考え方です。
 『仕事は生活のためだけ』と言う人もいます。
 良い悪いではありません。
 仕事をどうとらえるかは、その人の自由です。

 『お金がもらえるなら、やる』ということは、好きなことではありません。
 『労働』という言葉が思い浮かびます。
 『別にお金いらないんだけど、それやらせてもらえる』ということは、好きでやっています。
 好きでやっている人にとっては、労働基準という概念がありません。
 『残業マズイ?お金いらないからやらせてくれないかな。見てないことにしといてよ。なんとかならない?』という世界があります。

 『お金を払ってでもやりたいことってなに』と聞かれたことがあります。
 これは自分のミッションを知る上で、大きなヒントとなる考えだと思います。
 『お金を払ってでもやりたいこと』を考えてみると、自分ひとりだけたのしい思いをしても、なにもたのしくないことが感覚として味わえます。
 『お金を払ってでもやりたいこと』は『誰が喜んでくれるか』ということも、同時に問われているのです。
 自分がお金を払って仕事をさせてもらった上に、さらに誰かがメチャクチャ喜んでくれる。
 ミッションで生きる人の世界です。

 『生活(お金)のために仕事をする』というのは、普通です。
 昔読んだ斎藤ひとりさんの本には、『普通はつらいよ』と書かれていました。
 『普通の考え方って、本当は一番つらいんだよね』ということです。
 映画【マエストロ!】では、天才指揮者の導きで、『お金のために』から『誰かのために』へと楽団員の意識が次々に変化していきます。
 みんなの目つきが変わります。
 同時に、音も変わっていくのです。
 お金のための労働からミッションへと、意識が変わったのです。
 仕事の報酬は、お金だけではありません。
 自分たちの奏でる音が人に届く、感動という報酬に、楽団員は気づくのです。

 P.S.
 素人の演奏に、プロの楽団員が涙を流すシーンがあります。
 素人の奏でる音には、今は亡き家族への想いがあったのです。
 誰かのために届けるモノは、かけがえのないモノになるのです。

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2015年2月 2日 (月)

任されていないことを、しよう。

 任されたこと以上にやってしまうことが、本当にやりたいことです。
 任されたことは誰でもやります。
 ダメだと言われてもやってしまうことが、真のミッションです。


 映画【JOKER GAME】で亀梨くん演じる嘉藤は任務をあっさり果たします。
 序盤で任務は完了しています。
 そのまま日本に帰れば、ハッピーエンドです。
 彼は深田恭子さん演じるリンと出会うことで、任務ではない真のミッションを見つけます。
 自ら厳しい方へと足を突っ込んで行くのです。
 

 人には2つの選択肢が与えられています。
 面倒だからそれ以上のことは絶対にしないという生き方と、面倒で責任も生じるけれどなんとしてもやってやろうという生き方です。
 2つは自分で選択できます。
 前者の方が安全です。
 器用にやり過ごすこともできます。
 後者はうまく行く保証もありません。
 やっても、誰からも褒めてはもらえません。
 
 真のミッションは後者にあります。
 前者の道に、真のミッションは絶対にありません。
 カッコイイなと思う人は、例外なく後者を生きています。
 ミッションとは、人のためにやることです。
 嘉藤は命の保証すらない茨の道を自ら選択するからカッコイイのです。
 
 1㎜も自分のメリットがないところに命を懸けるのは、それがミッションだからです。
 面倒で苦しくても、やらずにいることの方がよっぽど苦しいのです。

 P.S.
 決して大それたことではなく、誰の道にもかならずミッションが転がっています。

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2015年1月31日 (土)

即決して、進もう。

 人生は決断の連続です。
 迷いながらもその場で答えを出していくことです。

 映画【ドラフト・デイ】は、緻密な駆け引き合戦の中、重大な決断を迫られます。
 リーダーは、『君はどう思う』とは聞きません。
 いちいち聞いていたら、『あの人には聞いて、なんで私には聞かないの』という世間話の世界に入ります。
 結果、多数決になります。
 多数決はリーダーのすることではありません。
 『こっちへ行こう』と周囲を導くのが、リーダーです。

 ケビン・コスナー演じるサニーにとって、周囲のあらゆる人が敵です。
 彼の下した決断に納得のいかないオーナーがブチ切れて口出しをしてきます。
 サニーは『いま黙っていてくれる』と言わんばかりに、口出しを手振りで制止します。
 オーナーの存在は確認していても、見向きもしないのです。
 その姿勢に周囲のスタッフは、サニーリーダーの本気を感じ、なにも言えなくなるのです。
 サニーが『ゴチャゴチャ言わず、俺に任せておけ』という空気を、一瞬にして生み出したのです。

 ハズレかもしれません。
 それでも『こっちへ行こう』と言い切れるかどうかです。
 『こっちでいいと思う?』と聞く人は、リーダーにはなれないのです。
 質問は責任逃れです。
 サニーは責任を、一身に受け入れます。
 その覚悟の決まった目つきに、オーナーも周囲もなにも言えないどころか、ついていこうと思うのです。

 P.S.
 モタモタしている内に、AかBか選ばずに終わります。
 決断せずに終わることが、最悪の決断ですね。

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2015年1月20日 (火)

負けることで、スタートしよう。

 勝つことだけが大切なことではありません。
 きちんと負けることも大切です。
 きちんと負けることで、次に進むことができます。



 『きちんと負けろ』が、映画【アゲイン 28年目の甲子園】のキーワードです。
 中井貴一さん演じる坂町は、きちんと負けることで、失ってきたことをひとつひとつ取り戻していきます。
 『あーなったのは、俺のせいじゃない』
 『俺はまだあの時のことを許せていない』
 そう言って過去の出来事を引きずる人は多いです。
 映画にはそんな過去を引きずる元高校球児たちが出てきます。
 時間が過去で止まって、動かないのです。

 坂町は心を閉ざしている娘との関係に向き合います。
 『試合、観に来てくれないか』と、はじめて今の自分の気持ちを伝えます。
 チケットを渡すと、娘の心の奥底にあった感情があふれ出ます。
 自分の気持ちを伝えたから、娘も父に対して言いたいこと言えたのです。
 あのシーンで初めて、坂町は娘に“きちんと負けた”のです。
 心が癒える瞬間は、心の中にある思いを言えた時に起こります。
 『癒える』とは、『言える』ことです。
 娘は坂町が伝えてくれたことが、本当はうれしかったのです。

 なにかチャレンジした時、『うまく行きました』『ダメでした』で終わったら、その結果以外は残りません。
 どうしてうまくいったのか、どうしてダメだったのか、まで考えます。
 『次はこうしよう』まで考えないと、ただやっただけのことです。
 特に運良くうまく行ってしまった側は、『勝ったからいいや』で終わります。
 これが一番悲惨なパターンです。
 次勝てるとも限りませんが、なかなか次の工夫まではしないのです。
 『ダメでした』には、可能性があります。
 負けたことで、『次はこうしよう』が必ず見つかります。
 
 “きちんと負ける”ことは、終わりではなく、スタートなのです。


 P.S.
 たったひとつの詰まりが取れるだけで、すべての歯車が回り始めます。
 根っこの問題に向き合っていく中で、すべてが変わり始めていくことが、この映画には描かれています。

 P.S.2
 父と、キャッチボールをしたくなりました。

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2015年1月13日 (火)

一瞬の表情と間のすべてに、意味がある。

 映画は、ワンシーンからどれだけの非言語の世界を読み取れるかで、作品のおもしろさが変わります。
 本を読むことと同じです。
 書かれていることの、行間を読む力が問われます。
 書かれていないことを発見することが、本を読むおもしろさです。
 映画のワンシーンの、表情の変化や、一瞬の間に、『あ、やっぱり』がたくさん隠れています。
 
 私の場合、まだまだ見落としている部分がたくさんあります。
 何度でも観たくなります。
 映画の約2時間には、一切の無駄なシーンがありません。
 2時間で壮大なスケールを、ストーリーとして伝えるのに、無駄をしていられません。
 非言語の中に、ストーリーが隠れています。
 それを自分の中で想像して言語化するから、おもしろいのです。

 【96時間 レクイエム】で、切れ者警部が事件現場にあったパンをひと口食べます。
 そこに、一瞬の間があります。
 現場を調べている仲間に『お味は?』と聞かれ、『うまいね』と、サラッと答えます。
 この一瞬の間に、切れ者警部が事件の答えを見つけたことが、表現されています。
 ひと口のパンで、容疑者が犯人ではないことがわかるのです。
 優秀な部下たちには、伝えません。
 優秀な部下たちは、容疑者を犯人と思い追いかけます。
 切れ者警部が容疑者を追いかけるのは、真犯人を捕まえるためです。
 裏で大きな組織が動いていることを、パンから読み取っています。
 追いかける目的が違うのです。
 優秀な部下は、この勝負は楽勝だ、と思っています。
 切れ者警部だけが、最初から手ごわい敵だと、わかっているのです。
 映画の終盤で、『パンが温かかったから、君が犯人でないことはわかっていた』と、切れ者警部が言うシーンがあります。
 『やっぱりね』と思うと同時に、言わずに非言語のままにしておいてほしかった、とも思いました。

 今回が96時間シリーズのラストとは言え、まだリターンがあるのではないかと想像します。
 ラストシーンで、優秀な部下たちが切れ者警部と、容疑者を“据わった眼差し”で見るのです。
 そのワンカットが、なにを意味するのだろう。
 そう考えると、想像力がはたらきます。
 たったひとりを捕まえ切れなかった優秀な部下たちのプライドをかけた復讐劇の始まりです。
 数年後、刑務所から出てきた犯人と、きっと手を組み二人に復讐するのです。
 今度は、切れ者警部と、リーアム・ニーソンのタッグです。
 その時のために、観ていない前2作も観ておこうと思います。
 きっと前2作を観てから今作を観たら、またおもしろい発見があるだろう。

 P.S.
 リーアム・ニーソンがセクシー過ぎです。
 自分も将来、あんなカッコよすぎるオヤジになりたい。

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2015年1月 5日 (月)

微差が大差です。

 すれ違うことは、幸運の種です。
 人はすれ違いの葛藤の中から、自分を見つめ、相手を思いやり、自分の進むべき方向を見つけていくのだと思います。


 映画【あと1センチの恋】は、只管すれ違います。
 本当は愛し合う二人が、すれ違いながら自分の生きる道を見つけて行くのです。
 どうしてこんなにもすれ違うのだろうか。
 他人の目を気にして、すれ違い続けるのです。
 『他人の目』とは、『お互いの目』です。

 お互いのことを考えて、近づけないのです。
 あと1センチ分、テキーラを残していたら、すれ違いは起きませんでした。
 この『タラレバ』に、意味はありません。
 あとづけの負け惜しみに過ぎません。
 『あの時、あっちにしておけばよかった』と言ってみても、そうはならないのです。
 逆に、もっと悲惨な運命を辿ったかもしれません。
 人は自分が選択しなかった方を、肯定したくなります。
 『タラレバ』にはキリがありません。
 過去だからです。
 言い続ける限り前を向けないのが『タラレバ』です。

 

 今伝えたいことは、今しか伝えられません。
 今思っていることも、1か月も経てばまた違った表現になります。
 実際にはそんな時間はいりません。
 夜から朝になれば、伝える表現はまったく変わるものです。
 夜に書いた手紙を、朝読みかえしてしまうと、恥ずかしくてもう出せないように。
 今伝えたいことは、今です。
 伝えたことでどうなろうが、それはそれで良いのです。
 そうなるべくしてそうなるし、どんなプロセスを経ても、うまく行くものはうまく行きます。
 うまく行かないことは、うまく行かないのです。
 『タラレバ』はないのです。
 うまく行かないことも、うまく行くためのプロセスの真っ只中だと気づけば、それすらも本当は良いことなのです。
 すれ違いながら、二人は自分の気持ちにケリをつけていきます。
 今までのことも受け入れ、未来に進むのです。
 その先に、新たなる出逢いが生まれました。



 P.S.
 【あと1センチ】というタイトルが絶妙です。
 1センチを小さくとるか、大きいものととるか。
 冷蔵庫を買っても、幅が1センチ大きければ、きれいに納まりません。
 そうなれば邪魔になります。
 サッカーも1センチでゴールポストに嫌われることがあります。
 その1センチで、チームの運命は大きく変わるのです。
 あと10センチでも、あと1ミリでもなく、あと1センチがリアルです。
 近いけど、果てしなく遠い1センチです。
 小さい差と思うコトこそ、大切にしたいですね。

 P.S.2
 PG12映画だけあって、『エロあるある』が笑えました。

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